サイン盗みって監督の指示じゃなくて選手が自主的にやった方がいいんじゃねぇの、みたいな

 

存在論的サイン盗み

  ここ2週間ぐらい、在宅のバイト(ひたすらコピペコピペコピペ)しながらずっと高校野球中継を観てる。スポーツブルってサイトで全国の地区予選をだらだらザッピングしながらぼーっと聴いてる。便利な時代ですな。

 

vk.sportsbull.jp

 

 で、結構よく見かけるのが「サイン盗み」のシーンだ。審判がランナーに「変な動きすんな」って注意してる場面だ。それなりに1日中観てるとそれなりに結構あるんだなぁって感じで、ド素人としては、へぇ、みたいな。これが噂の、的な。

 

 要するに塁に出たランナーとかコーチャーとかが打者に相手捕手のサインを伝達するやつだ。次スライダーだぜ、インハイにツーシームくるぜ、的な感じで。ルールでは禁止ってことになってて、でも結構みんなやってるぜ、ってことにもなってて、高校野球のひとつの悩みの種、みたいな。いやメジャーでも問題になってるし、少し前にプロ野球でも話題になってた。阪神がやってんじゃねぇの的な感じで軽く揉めてた。

 

 なんつーか、個人的には結構好きな話題だ。サイン盗みの話は。特に高校野球って領域で。うまく言えないけど「深い(キリッ」、みたいな。いやなんつーか、ある意味哲学的、みたいな。掘ってくと結構面白いんじゃねぇのこれ、いやサイン盗みそれ自体が、ってよりは、そっからたどっていろいろあれこれ、みたいな。

 


 こんな記事がある。 

 

number.bunshun.jp

 

 この記事で面白いのは、必ずしも監督とかコーチ、指導者がサイン盗みをやらせてるわけじゃないってことだ。つまり選手たちが自主的にやってる、そういうチームも割とあるらしい、ってことだ。

 

「僕たちは選手だけのミーティングをやって、伝え方を決めていました。多くの学校がやっていたので、対戦チームを観察する技術も身につきました。たとえば試合のときに下級生が外野のファウルゾーンでボールボーイをやるじゃないですか? ○○高校はそこからサインを盗んで、打者に伝えていました。右打者なら一塁側のボールボーイ、左打者なら三塁側ですね」

 

「監督や部長からは『おまえたちはそんな野球をやるな』って教えられていました。でも選手たちでやりました。それを監督が知っていたかどうかはわかりませんが。理由は勝ちたかったから。そこに尽きますね」

 

 監督やコーチ、「オトナ」がやらせてるわけじゃない、むしろやるなって言ってんのに選手たちで勝手にやる、――つまり球児どもは指導者にあんま服従してなくて、俺らド素人、部外者のイメージより専制じゃない、指導者の権力が行き届いてるわけじゃない、選手間の横の連帯に干渉できない、ってことなんだな、高校野球って意外とそういうもんなんだな、ってのがこれを読んだ最初の印象だった。

 

 で、しばらくして思ったのは、でもそれは指導者の本心じゃないかもな、ってことだ。つまりダチョウ倶楽部的な、「押すな」は「押せ」の合図だろ的な。「監督の俺はお前らにズルしろとは言わんけど、というかズルするなって言うけど、でもまぁ、分かるっしょ」みたいな。

 

 というか、いや、まぁ、思うに、サイン盗みって指導者の指示じゃなく選手たちが自主的にやるのが「最良」だよな、ってことだ。特に高校野球においては。

 

 

アンチノミー

 高校野球が、学生スポーツが「教育の一環」だって信じるかどうか、そうあるべきかどうかはともかく、けど現実として、16、17歳の子ども、親のすねかじってるガキどもにアラサーとかアラフォーとか初老とかのイイ歳こいたオトナが毎日毎日密に接するなら、そこにはどうしたって「上から目線」の要素は不可避で存在してしまう。主婦とか隠居老人相手のカルチャースクールみたいなもんとはやっぱ違う。ガキ相手に、「教育」を切り離して完全に技術的なことだけを教えるってのは普通に考えて無理で、ある種、なんつーか、ガキ相手の「指導」ってコミュニケーションの形式には絶対に「上から目線」、「啓蒙」が混じってしまう。「ヒトとして」どうこうみたいな道徳とか倫理を不可避で語ってしまう。――つまり、だから基本的に、指導者は高校球児より成熟した人間として在るべきことが求められてる、いや求められてるっつーか、それが「おさまりがイイ」。その方がコミュニケーションが、日々の指導がうまくいく。なんつーか、その「カタチ」に当てはめることが大事、みたいな。選手目線で言えば、「監督、あんたは嘘でもそういう体裁でいてくれ」みたいな。そういうふうに形式を安定させることで、指導が効率的になる、組織が円滑に回る、みたいな。

 
 で、そういう指導者、成熟してるはずの、そういうことにしといたはずの、自分たち球児より人間として成熟してるってふうに(暗黙に)取り決めといたはずの指導者が二枚舌を使うってのは、それはなんつーか、齟齬をきたす。ある種の「エラー」を起こす。つまり一方で球児である自分たちや世間(マスコミ)に「教育」や「倫理」、「指導論」を語っておいて、同じ口でサイン盗みとかのズルを指示する、この矛盾。――これは多分、選手たちにとっては結構しんどいと思う。別にオトナがズルくないとか本気で信じてるわけじゃない、そこまで馬鹿じゃないけど、でもなんつーか、でもやっぱ、アタマの隅で引っかかりはする、その二枚舌が靴の中の小石みたいな感じで気になる、みたいな。アイドルだってうんこすんのは分かり切ってるけど、でも実際うんこしてるトコ見たらやっぱ引くわ、みたいな。アタマでは分かってても見たくはない、見ればそれが意識に残っちまう、みたいな。あいつはうんこアイドルだ、とかなんとか。


 なんつーか、自分たちのボス、監督のツラを汚さないためにこそ選手たちが自主的にサイン盗みを、そういう不正をやる必要があるんじゃねぇかな、みたいな。それは別に監督のためにってことじゃなくて、むしろ自分たちのためにだ。二枚舌を使う、矛盾してるヤツが目の前にいる、二律背反野郎が自分たちの指導者としてそこにいる、って状態を回避するために、自分たちが自主的にズルを、みたいな。矛盾が目の前にそびえ立つ、自分たちを率いてる、ってことのそのキモさ、ウザさから逃れるために。自分たちの精神衛生上その方がイイだろ、と。

 

 自分たちが指導者の意に反してズルをする。――これは矛盾にならない。これはチームのカタチを、関係性を揺るがしてない。いや指導者の本当の「意」は「ズルしろ」だったりするかもしれないけど、でも表面的な「意」としての「ズルするな」に逆らってズルをする、サインを盗む、監督は悪くない、俺ら選手が勝手にやったことです、このカタチで進めること。ある種の分業体制。選手⇔指導者の間での。つまり子ども⇔オトナ間での。善玉担当はオトナで、手を汚すのはガキの方、それが模範的な、望ましい組織像、みたいな。

 

 監督の指示でズルをやるより選手が自主的にズルをする方が精神衛生上イイ。それはチームとして、選手にとって居心地がイイ。というか「監督は矛盾してる」って余計な思いがチラつかなくて済んで集中できる。監督を汚さずに、監督の綺麗ごとを綺麗ごととして成立させておく、そんで泥を自分たちで被る、自分たちの意志で不正に手を染める、――自主的、能動的な悪。そこには「覚悟」って感じのヒロイズム、感傷が伴って、それもそれで選手のテンション上がる要因、イイ感じで自分たちに酔えるし一石二鳥だろ、ダークヒーロー感出てもう最高だろ、みたいな。

 

合理的選択としてのサイン盗み 

 まぁ普通に考えりゃサイン盗みをした方が勝つ確率は高まるだろう。勝つためにはサイン盗みはやった方がいい。

 

 そんで、普通に考えて、チームの居心地ってのは悪いよりは良い方がイイだろう。自分たちの指揮官が矛盾野郎だって日々思いながら部活をやりたくはないだろう。だから、組織の住みよさのために、心の安寧のために、選手たちは自主的にサイン盗みをした方がいい。指揮官を奥歯に挟まったモノにしないために。穢れなき処女、瑕のない置物、綺麗ごと吐き出しマシンにしとくために。

 

 ってことでサイン盗みはやった方がイイだろう。選手たちが自主的に。自由意思を以って。基本デメリットもないだろう。自分たちの意思でやるなら。勝てるし心は安らかだし、と。

 

――そんで、まぁ裏返せば、指導者は選手たちにどう自主的にサイン盗みをするよう仕向けるか、みたいな。自分がズルしろと言わないこと、自分が手を汚さないことが選手のためになるんだってことを理解して、どうやって選手たちが代々自らの意思でサイン盗みをする「伝統」を育ませていくか、みたいな。いやマジの話で、現実に監督も選手も、こういうことは日々考えてるんじゃねぇかな、と。そういう主体、かつ組織のパーツとして指導者や選手を見てると高校野球って超おもしれぇ、熱い! みたいな。

 

P.S.

 あとサイン盗み関連で、っつーかサイン盗みの防止策として使えそうかも、とか思ったのが「審判の不公平さ」だ。

 

www.news-postseven.com

 

 監督に就任する年、鍛治舎は自身が率いていた中学硬式野球のオール枚方ボーイズの選手をごっそり入学させ、秀岳館を瞬く間に強豪に育て上げた。しかし、熊本出身者が一人もいないメンバー構成は「大阪第2代表」とも揶揄された。

 川上哲治を生んだ、高校野球の盛んな熊本を戦う難しさとして、伝統校と戦うと、どうしても不利な判定になると鍛治舎は話した。

「私は就任してからこの3年、公式戦の主審に対して、『○・△・×』の評価を付けていた。熊本の伝統校とやる時の主審はすべて『×』の主審ですよ(笑)」

 

  まぁ少なくともこの監督から見たら高校野球の審判は故意あるいは無意識にせよ判定にバイアスがかかってるってことで、普通に見りゃ「ちゃんとやれや審判」ってことだけど、でもサイン盗みに関してはこれがちょっと抑止力にもなるのかもな、ってか実際多少なってたりしてんのかもな、みたいな。現状サイン盗みへの罰則はなくて、っつーかまぁ高校野球とかだと多分それを作って運用するのはかなり無理ゲーで、じゃあやったもん勝ちじゃんってことになって、けど「サイン盗みがバレたらそのあと審判のジャッジがきつくなる」と思えば、というか思わせれば、それが抑制効果を多少発揮すんのかな、みたいな。そう思うと審判の機械化とか審判の能力向上、感情に左右されない正確なジャッジを目指す、みたいなことは必ずしもパーフェクトに歓迎、って話にはなんねぇかもな、みたいな。むしろもっと不公平な、というか「変なマネしたら不公平なジャッジするからな」ってオーラを全身から醸し出しとく、そのオーラの多寡を調節してサイン盗みの発生率をコントロールしとく、みたいな。分かんねぇけど。

 

 

 

 

  サイン盗みとかの不正を、なんつーか「普通に描写してる」野球マンガってあるんかな。要するにゲスな悪役がそういうことしてますとかじゃなくて。――この漫画だと敵チームのコーチが選手のひとりにこっそりラフプレーやらせてて、それはまぁゲスな三下悪役じゃないけど、こう、「フィーチャーしてる」って感じで、「レギュラー欲しさにラフプレー遂行を受け入れた選手はその後めちゃくちゃ悩んで傷付いてます」って描写がされてて、それはそれで悪い表現とは思わんけど、もっとこう、普通にさらっと書いてるというか、当たり前のもんとしてあんま善悪もドラマ性もなくサイン盗みとかやってます、的なマンガ、あったらぜひ教えていただければ、みたいな。読みてぇ。