大澤真幸のブルース

 大澤真幸って社会学者がいて、どの本だったか忘れたけど、原発と世代間倫理みたいな話の中で、「お前は未来のお前について考えて、未来のお前のために何かをやったりするよな? 未来の自分が大学に受かるように今頑張って勉強するとか、老いぼれの自分が野垂れ死なないように今年金をちゃんと積み立てとくとか、そういうふうに未来の自分のために行動ができるよな? ――でも未来のお前はお前じゃないよな? 未来のお前は今「この」お前じゃない、つまり他人だよな? ってことは今「この」お前は未来のお前っていう他人を思いやれるヤツだってことで、つまり、ってことはお前は、未来のお前以外の他人のためにも今何かができるヤツなんだよ。だって未来のお前も未来のお前以外も今「この」お前にとっちゃ同じ他人なんだから。未来のお前を思いやれるお前が未来のお前以外の誰かを思いやれないわけないぜ」、的な感じのことを言ってて、うわシャレた言い回しだな、と思った。俺が女なら確実に惚れてると思う。

 

  この論文集の中で誰かが「今生きてる俺たちだけじゃなくてとっくに死んだヤツら、キリストより昔のヤツらだって全員いつか救われなきゃいけない。そいつら大昔の野郎どもも丸ごと救えないならそんなモノは救済じゃねぇ、意味がないぜ!」的なことを言ってて、「お、おう」みたいな。大きく出やがった、みたいな。

 

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 それはそれとして、けどちょっと思ったのは、今の自分は過去の自分にアドバイスできるとして、それをやるか? みたいな。17歳とかの自分に「お前ちゃんと勉強しないと将来こんなんだぜ」みたいなことを言って、17歳の「その」自分をましな方向に誘導しようって思うのか? つまり要するに、「この」自分は17歳の「その」自分が成功することを祝ってやれるのか? それはものすごい妬ましくて無理なんじゃねぇの、みたいな。過去の「その」お前も「この」俺みたいになれよ、俺と同じくしょぼい人生を行けよ、こっちに来いよ、みたいに思って、つまり過去の自分っていう「他人」を全然思いやれないんじゃねぇの、みたいな。というかむしろ自分以外の自分の成功ほど許せないモノはないんじゃねぇの、みたいな。どうか全部の俺が、過去も未来もどの平行世界の俺もちんけな俺であってくれ、とかなんとか。